初期の乱痴気外 その1


乱痴気外というバンドが活動をスタートしてから1年が経とうとしている。ギターボーカル担当の高田フミヱ(以下、フミヱ)からもnoteやスペースで都度振り返られている点は多々あるものの、主にギターや音源制作、各種デザインを担当している自分、抹茶三号こと「松本抹茶」視点から改めて振り返ってみたい(バンド内での名義はあくまでも松本抹茶なのです)。

上記の通りバンド活動スタートからはちょうど1年ぐらいだが、乱痴気外結成に至る前提となった出来事は約3年前の2021年頃まで遡るのだから人生は不思議だ。

当時大学生4年生であるにも関わらず、就活も卒論も何もしなかった自分は当然のごとく留年、その何もしていない中で更新していたのがnoteだった。せめて就活と卒論のどっちかはしろよ。

日記的なものをメインに更新していた中、あるタイミングで毛皮のマリーズの元ネタをまとめる記事をnoteに公開した。これは当時のインターネットに散っていたマリーズ楽曲の元ネタ情報を「ひとつのページでまとめて見れたら良いのにな」という思いから作成したもので、殆ど自分のために作ったような代物だった。これがいつの間にか、「毛皮のマリーズ 元ネタ」とgoogle検索すると上位に表示されるようになり、思いのほか多くの人の目に触れられることになっていたようである。公開してからの反響は大きく、元ネタ情報を記事のコメント欄やtwitterのDMでも募集していたところ、それなりに多くの人から連絡があった。

 

この時、連絡をくれたうちの一人がフミヱだった。彼は「スタッガーリーを撃て」の元ネタがジョニーサンダースのLet Goにあることや、イエモントリビュート盤におけるsuck of lifeカバーの元ネタを指摘し、なるほどこれは同じ音楽を聴いてきているし音楽力(おんがくぢから)もありそうだと思った。

フミヱによる初コンタクト

彼と相互フォローという関係になったのはそこからだったが、当時の自分はそこまで熱心にtwitterは見ておらず、「同世代っぽいぞ、なんか自分より音楽詳しそうだな、あとなんとなく尖っていて怖いな」という印象で数年が経過する。

そして2024年6月。明確なきっかけになったのが、私の転職に伴う千葉から東京への移動、そしてそのタイミングでたまたまフミヱがtwitterでバンドをやりたいという発言をしていたことだった。労働環境の悪い職場から逃げ出して東京に進出した私の躁っぷりはは凄まじく(私は昔から新しい環境に置かれると異常なほど行動的になることが往々にしてある)、彼の投稿を見るなりリプライでとりあえずサポートという形でも良いのでやりたいと連絡した。すぐに後日対面で話してみることになった。

 

私が待ち合わせ場所として約束していた店前に向かうと、そこには枯れ木のようにやせ細った、バケットハットを被った男がいた。これが私と髙田フミヱの現実世界における初コンタクトである。痩せていることにかけてはかなり自信のある方の自分だったが、彼の姿を目の当たりにして、こんなに痩せている人間っているんだ、と感心してしまった(参考:抹茶171cm/49kg, フミヱ 173cm/44kg)。


最初に入った店が2時間制だったのだが、話しているとお互いに夢中になり、時間が足りないということで店を替えてさらに話し込んだ。やはり同じような音楽を聴いてきているし、この人ならスムーズにバンドはできそうだ、と思った。どこまで自分たちがやることをきめたのかは覚えていないが、とりあえずはフミヱの持ち曲を演奏することで決定。後日各々の知り合いでパートを集めてやりましょう、ってことで集まったのがフミヱの大学時代の後輩である木山ムナ、私の大学同期であるMaki(注:同名バンドとの関係は無)。

2023年9月某所、とりあえず練習後に撮った最初期のアー写

こうして初期の「乱痴気外」は爆誕した。

 

たぶんつづく